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10/22
踏みしめる落ち葉をイメージ
春は桜、秋は紅葉と洒落(しゃれ)込んで、私は年に二度、京都を訪れる。
その時、宿はたいてい嵐山に取る。初日は京都市内の寺院巡りをし、木屋町辺りで美味(おい)しいものを食べ、予約を入れておいた宿に向かう。
次の日は嵯峨野周辺を散策するのだが、これが楽しい。いつも新たな発見がある。この辺りにも名刹(めいさつ)が数多くあるが、私のとくにお気に入りは祇王寺である。
ここは尼寺で、平清盛の寵愛(ちょうあい)を受け、後にその愛がほかの女性に移ったことで、世の無常を知り、仏門に入った白拍子の祇王を祀ってある。
寺自体はこぢんまりしているが、思いの外、庭には趣向が凝らされている。
通常、枝に付いた花や葉を眺める時、視線を上に向けるが、ここの庭の場合は違う。美しく生えている苔(こけ)の上にふんわりと舞い降りた、それらを眺めるのだ。
季節を足許で感じるように庭作りがされているなんて、何という心憎い演出だろう。初めてこの寺を訪れた時、私は日本人の美意識の極みを見た気がした。
日本人は季節を五感のすべてで捕らえる。虫の音を騒音としてではなく、ものの哀れの象徴として右脳で捕らえるように、落葉だって、同じだろう。
枯れ葉を踏みしめて歩く時、私達はそのカサコソした音を、去り行く秋の郷愁として、心の何処かで知覚しているに違いない。
紅葉は葉の酸欠状態にほかならないと、何かの雑誌で読んだが、もし、一緒に歩いていて、そんなことを宣(のたま)う友人がいたら即刻、絶交。
あの秘めやかな音を聞いて、即物的なことしか思い付かないとしたら、それはかなり退屈な人に決まっている。
歩道に敷き詰められた落ち葉をイメージした一品。口の中で噛(か)みしめれば、ほら、秋がカサコソ音を立てます。(文・調理 あき・ようこ=作詞家)
秋の吹き寄せ揚げ
※こちらの原稿はサンプルとして掲載しております。この原稿を無断で雑誌等に転載することは禁じられております。使用を御希望される方は当研究所までご連絡ください。
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