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第238回 人物の評価基準とは(2010年7月5日更新)
NHK大河ドラマの影響もあって、幕末の人物に注目が集まっている。かつては、幕末の英雄というと西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允(桂小五郎)が挙げられたが、いまは坂本龍馬が一番人気だ。龍馬が広く一般に知られるようになったのは、昭和37年から産経新聞夕刊に連載された司馬遼太郎の「竜馬が行く」以後といわれている。もしこの小説が世に出なかったら、今日のような全国的な人気を誇ることもなかったのかもしれない。
歴史上の人物の実像と人気は、必ずしも一致はしない。例えば、坂本龍馬と同時代を生きた榎本武揚などは、あまり人気のない人物だ。同じ徳川幕府に仕えた勝海舟が、江戸を守った政治家として人気もあるのに、榎本に対する一般の評価(人気)はかなり低い。というよりほとんど認識がないように思う。せいぜい、最後まで明治新政府に抵抗し、五稜郭に立てこもった人物といった程度の認識ではないか。
榎本は五稜郭の戦い後、その非凡な能力を買われ、明治新政府でロシア特命全権公使、外務大臣、農商務大臣などを歴任し、外国との紛争や公害事件など山積する問題を次々に処理した。実際、榎本は、語学、造船学、化学に長け、欧米流の「契約」という概念を理解していた数少ないテクノクラートの一人だった。重職への就任は、本人の希望ではなく、人材難の明治新政府が要請したものだった。
当時、世界に通用した日本人が、なぜ注目を浴びてこなかったのか。これは福沢諭吉がその著書で榎本を、敵側(薩長政権)に寝返った変節漢と酷評したことが、榎本の評価が上がらない原因といわれている。そうした風評とあいまって、彼の実像が小説などを通じて一般に知られてこなかったせいかもしれない。昨年直木賞を受賞した佐々木譲が、10年ほど前に「武揚伝」という大作を世に出している。これを読むと榎本が好きになることは請け合いである。
この榎本が清水次郎長こと本名山本長五郎の墓碑銘を揮毫したことは意外に知られていない。次郎長は、義理人情に厚い博徒として、数々の小説や映画、テレビに取り上げられた人気者。もっとも、この人物を単なる博徒の大親分と評するのは誤りだ。維新後は、非効率だった港湾労働者の運用方法を変え、清水港を日本の代表的な港湾施設に育て上げた。ほかにも石油採掘や茶園開発、さらには、英語学校の設立を手がけるなど、むしろ起業家と評すべき人物だと思う。
人物の評価は難しい。ましてや、過去の人となると、当時と現在の価値観の違いもあり、なおさらだ。龍馬人気をみると、時代を先取りする行動を取ったかどうかが、評価の目安になるのかもしれない。話は変わるが、7月11日は参院選の投票日だ。耳に心地よい主張や公約などに惑わされずに、どの政党が将来を見据えた政策を掲げているのかを慎重に考えて投票したいものだ。選挙は、われわれ一般市民が自分の頭で天下国家を考える数少ない機会でもあるのだから。
(広報フォーラム事務局 大島光博)
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