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第160回 『やかんを知らない若者』(2009年4月9日更新)
知人に、ソーシャル・マネジメント、企業経営論、経営戦略論などを専門に教えている大学教授Fさんがいる。かつては民間企業で20年近く広報を担当していたが、「人を育てることが私に合っている」と教鞭をとることになった。広報時代の具体的な話を交えての講義に、学生からは分かりやすいと評判らしい。そんな話をFさんと同じ大学の教授から聞いた。
そんなFさんと先日、銀座のフランチレストランでランチをご馳走になりながら、久しぶりに情報交換した。いまは春休みだが、学生を視察旅行に連れて行ったり、自分の勉強をしたりと、授業がある時よりも忙しいらしい。「最近は、中国や韓国などの留学生が増えたが、彼らはよく勉強する。日本の学生はもっと真剣に勉強しないと、彼らに負けてしまう」と心配していた。
話の途中で「情けなくなるというか、昨年こんなことがあったんですよ」と話題が突然変わった。それは「パロマ瞬間湯沸し器事故」のことだった。いまの学生は湯沸し器と聞くと、やかんタイプのケトル湯沸し器だと思っていて「湯沸し器で、なんで中毒死するのだろうと、事故そのものをよく理解できていない。危機管理の話をしても先に進まなくて」と嘆いた。
大型スーパーなどに行っても「ケトルコーナー」という札が下がっていても、「やかん」という文字はない。さらに「さじ加減の、さじの意味が分からないのですよ。日本はこの先、どうなることやら」とF教授。商品そのものが分からないため、事故も理解できないという時代になってしまったのだ。この若者たちの実態を大人である私たちは認識しておくことが必要のようだ。
いま、留学生を含め多くの外国人が日本で生活しているが、おそらく彼らへの説明と同じように、日本の若者にも懇切丁寧な解説が必要なのだと思う。「無洗米」というのがある。便利ではあるが、お米を研(と)ぐことを知らない女性が出てきているのだ。「無洗米」という字面からの連想か、「お米は洗剤で洗うものと思っていた」という若い女性もいるというから寂しい限りだ。
ひと頃、難しい文章で説明しても理解されないからと、漫画のPR誌や、写真やイラストをふんだんに使った社史などが話題になった。いまや、若者への迎合を通り越し、年代間の文化の違いとなってひずみが起きているように思う。
それを解消するには「分からないことはきちんと聞く」「聞かれたことはきちんと説明する」というコミュニケーションだと思う。それは、いつの時代も世代間を結ぶ架け橋である。
(広報フォーラム事務局・山本ヒロ子)
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